小泉支持派と林真理子氏
2006年8月20日
宇佐美 保
先の拙文《ミーハー族の郵政民営化論》にも引用させて頂きましたが、週刊文春(2005.9.1号)などを見ますと、林真理子氏(作家)は、熱狂的な(?)小泉支持派の方のようです。
そして、先と同様に、週刊文春(2006.7.6)のご自身のコラム「夜ふけのなわとび」を見ますと、次のような記述があります。
このあいだ嫌な光景を見た。ボローニヤオペラを見に行くと、劇場前は大変な人だかりだ。 「これは皇室の方に違いないわ。美智子さまかしら、それとも雅子さまかしら」 わくわくしながら待って、やっていらしたのは小泉総理であった。場内から大きな拍手がわき上がる。相変わらず人気があるんだわと思ったところ、何人かの観客から大きなブーイングが発せられた。 そりゃあ、いろんな意見があろう。が、靖国参拝の帰りならともかく、オペラを楽しみにやっていらしたんだ。同じオペラファンとして、気持ちよく椅子につかせてあげてもよかったのではなかろうか。 |
そして、この林氏の記述に対して、次の朝日新聞(2006年6月19日)「(窓・論説委員室から)小泉首相へのブーイング」を参照の上考えて頂きたいのです。
(以下に抜粋させて頂きます。)
小泉首相に浴びせられたブーイングが、オペラファンの間で話題になっている。 東京文化会館で上演されたボローニャ歌劇場「アンドレア・シェニエ」(ジョルダーノ作曲)の開幕前のことだ。 SPらを従えて首相がホールに入ると、まばらな拍手を打ち消すように盛大なブーイングが起きたというのだ。5階の天井桟敷(てんじょうさじき)だけでなく、1階のS席からも飛んだ。日本の劇場では珍しい話だ。 もちろんこれでひるむ首相ではない。「ブーイングもまたよし、か」。こうつぶやいて席についたという。 この日の公演は、首相がオペラ好きになるきっかけを作った思い出の作品だ。45年前、来日したイタリア歌劇団のテレビ放映を見てのことだという。それだけに心中穏(おだ)やかでなかったのは間違いない。 オペラ会場で、何度か首相と一緒になったことがある。いつも拍手に迎えられ、首相は手を振り、握手(あくしゅ)に応じていた。それが、なぜブーイングに変わったか……。 政治的な反発が噴(ふ)き出したとも考えられる。だが、9月で退陣するというのに、今なお45%の高い支持率を誇(ほこ)っている。 首相が来るとなると、劇場周辺の警備は何かと厳しくなる。その抗議か。だが、今までは温かい拍手がわいていた。 この作品は、フランス革命の動乱のなかで処刑される詩人と没落貴族の令嬢(れいじょう)との悲恋の物語だ。王朝から共和制への政権交代も描かれる。首相も45年前とは違った感想を持ったに違いない。<梶本章> |
そして、林氏の文章は、実に尤もな事が書かれていると存じますが、でも、おかしくはありませんか?!
林氏は、「オペラを楽しみにやっていらしたんだ。同じオペラファンとして、気持ちよく椅子につかせてあげてもよかったのではなかろうか」と書いていますが、多くの方は、林氏の言い分は尤もだと思われるかもしれません。
私は、1年ほど前の国立劇場でのオペラ「蝶々夫人」の公演の時、小泉首相と同じ会場にいました。
そして、その際は、この新聞記事にあるように盛大な拍手が小泉氏に浴びせられました。
でも、そんな時には、林氏は、「拍手などせず、オペラを楽しみにやっていらしたんだ。同じオペラファンとして、気持ちよく椅子につかせてあげてもよかったのではなかろうか」と書いていません。
(林氏は、「場内から大きな拍手がわき上がる」に対しては非難していないのです。
勿論、拍手を貰って悪い気持ちになる人は少ないでしょうが、その拍手を不快に思う人もいるのです。)
拍手が浴びせられている時は、
その拍手に異議を差し挟む事をせず、 ブーイングに対しては異議を唱えると言うのは、 おかしくありませんか?! |
(林氏は、この記述の中で“あまりにもひどい「手の平返し」がこのところ目につく”と非難の声をあげておられますが、「拍手はOK、ブーイングはNO」は一種の「手の平返し」ではありませんか?!)
私もブーイングが小泉首相に浴びせられたオペラ会場に居合わせました。
そして、私の近くの席の方も、小泉首相に向かってブーイングを浴びせていました。
ですから、上記の朝日新聞の記事も十分に、会場で小泉首相へブーイングを浴びせた方々の気持ちを理解していないと感じるのです。
と申しますのは、私の記憶では、先ず小泉首相への拍手が起こったのだと思います。
それから、ブーイングの声が巻き上がったのです。
そして、このページに小泉首相に反対の見解を書いている私もブーイングの声を上げようと思いました。
但し、拍手が無ければブーイングを浴びせようと私は決して思わなかったでしょう。
そして、多分ブーイングの声を上げた大多数の方々の思いは、
日頃から不満に思っている小泉首相へ 拍手が沸いたことへの抗議の為にブーイングの声を上げたのだ |
と存じます。
そして、その方々の心の中にも、“オペラを楽しみにやっていらしたんだ。同じオペラファンとして、気持ちよく椅子につかせてあげよう”との想いがあった筈です。
こんな事が分らない(物事を一方向しか考えられない)林氏が売れっ子の作家である事を私は全く信じられないのです。
そして、林氏に代表される方々が小泉氏を支持しているのでは?と思わずにはいられませんでした。
そして、週刊文春での林氏のコラム「夜ふけのなわとび」には、林氏の売れっ子作家としての品性を疑う記述が何度も顔を出します。
例えば、先の拙文《コラムニストの品性》から、次を再掲させていただきます。
週刊文春(2004.10.21号)の林真理子氏による次なるコラム(の一部)です。
子どもや若い女性といった、弱い人間を車を使って誘拐する人間が、ニュースをにぎわせることがある。 見るからに品性下劣といった顔つきだ。こういう時、私はしみじみとした感慨にうたれる。 「こういう人間でさえ、車に乗れるんだなあ、ちゃんと免許証を持ってんだなあ┈┈┈┈」 というのも、私が車の免許証を所持していないからであろう。こんな人は今どき珍しい。 |
┈┈┈┈
私は、「どんな極悪人といえども、私よりも優れた点を沢山持っている、ただ、何処かの歯車が狂って(或いは狂っていて)、犯行に及んだのであって、本質的には、自分も彼らと大差ないのだから、歯車が狂わないように!」と日々自戒している積りです。
ところが、この林氏の記述を見て、林氏は御自分が「見るからに品性下劣といった顔つきの犯罪人」とは別人種と考えている!と感じ、びっくりしました。
更に、週刊文春(2006.7.20)には次の記述があります。
もうかなり前のこと、旅の雑誌の取材で、タイのプーケット島へ行った。その日の宿は、島の中でも一流のホテルだ。タイアップだったのかどうかはわからないが、私の部屋はセミスイートの広い部屋。 「すごいじゃん」 天蓋つきのベッドではねていたら、ドアボーイが荷物を運んでくれた。その男の子のかわいいことといったら! タイにしては日に灼けておらず、なめらかな肌と綺麗なつぶらな目をしている。十六、七歳といったところだろうか。まるで高畠華宵の挿絵から脱け出してきたみたいな男の子だ。 あまりにもかわいいコだったので、私はチップをかなり多めにはずんだ。 「サンキュー・マダーム」 「どういたしまして」 私は微笑んだ。が、不思議なことに彼はその場を動かない。 「サンキュー・マダーム」 「どういたしまして」 微笑む私、が、彼はまだ動かない。そしてしばらくたってからまた言った。 「サンキュー・マダーム」 「だからさ、さっきからどういたしましてって言ってるじゃん」 思わず日本語で口走ってしまった私である。後で人に聞いたところ、「そりや、男の子が誤解しても仕方ないよ」 とゲラゲラ笑った。見かけは小汚ないが、一流ホテルのセミスイートに泊まる女。たぶん金持ちだろうと彼は思った。そしてその女は、たっぷりとチップをはずみ、少年の顔を覗き込むようにじろじろ見る。 「たぶん彼は、ハヤシさんが自分を誘ってくれると思ったんでしょうね。部屋に来る時間を指示してくれるってずっと待っていたんですよ」 なるほどそういうことか。しかしこの誤解は私に羞恥と怒りをもたらした。失礼な、私がプーケットで男を買うような女に見えたんだろうか。ひどいひどいと、私は二十年近くたってもまだ腹を立てている。 女はこの種のことはずうっと憶えているものだ。・・・ |
私は、先ずこの林氏の記述で気になるのは、外国へ行って言葉がうまく通ず、自分の思いがうまく相手に伝わらない場合、(相手が絶対に理解できない)日本語で相手を罵る事です。
「品性」を標榜する人間がこんな行為をするとは信じられません!
(それを、雑誌に書いて平気でいる神経が信じられません!)
そして、プーケット島の一流のホテルのセミスイートの広い部屋での出来事では、私は林氏より、なめらかな肌と綺麗なつぶらな目をしているドアボーイ君に同情します。
ドアボーイ君としては、(何か事情もあって裕福でもない)暮らしを支える為の(望んでもしない)その日の大事な仕事を林氏の為にパーにしてしまったのですから!
彼は、
“その目的が無い女一人が一流ホテルのセミスイートの広い部屋を占拠しないで欲しい!その部屋はその目的の為の女の人にあけておいて欲しい!” |
と思っていたでしょう。
このようなドアボーイ君の気持ちを全く推し量ることなく、“失礼な、私がプーケットで男を買うような女に見えたんだろうか。ひどいひどいと、私は二十年近くたってもまだ腹を立てている”自分の品格を否定されたと怒っている林氏がとんでもない小人物に思えてなりません。
この「相手の気持ちを推し量る事のない」林氏は、同様に「相手の気持ちを推し量る事のない」小泉氏を支持しているのです。
なにしろ、今日の朝日ニュースターの番組「パックインジャーナル」中で、川村晃司氏(テレビ朝日コメンテーター)が、加藤紘一氏にインタビューした際、今回の火災事件(テロ)に対して、かつて、山崎、加藤、小泉でYKKと云われた盟友の小泉氏から加藤紘一氏へ、見舞いの電話でもありましたか?との問いに対して、
“山崎氏からは、直ちに見舞いの電話があっても、 小泉氏からは見舞いの言葉は無かった” |
との返答だったと、憤慨されていたくらいですから、
小泉氏ご自身には「心の問題」が存在している |
のだと存じます。
更に、週刊文春(2006.6.29)から抜粋させて頂きます。
・・・その日のNHKホールは、右を向いても左を向いても、有名人の招待客がいっぱい。とても華やかであった。 ・・・ さてルネ・フレミングの熱演で「椿姫」の幕は閉じ、我々は分散して西麻布のレストランヘ向かうことになった。私は大石さんと弟の三人でタクシーを拾おうとしたのであるが、NHKホールの前の通りは、既に空車を待つ人たちが並んでいる。 「ねえ、大石さん、NHKをつっ切って西口玄関へ行こうよ。大石さんなら入館パスを持ってるでしょう」 「実はこういうことになるかもしれないと思って、パスを持ってきたのよ」 私はつくづく思うのであるが、脚本家の方というのは本当に性格がいい。何人か知っているけれども、みんな人格円満で気配りが出来る人ばかりだ。おそらくチームワークを組む仕事ゆえに、脚本家は選ばれる際、実力に協調性が加味されるのであろう。私ら個人プレイの作家とは、かなり違うところがある。 「でもね、私、NHKの中って大き過ぎてよくわからないのよ。西口行くのってむずかしくて」などと言いながら、大河の大脚本家が前を歩いて私たちを案内してくださるのである。といっても、NHKの守衛さんは結構厳しくて、大石さんはともかく、後の二人には冷たい目を向ける。そりゃそうだ。夜の十時に一般人がのこのこついていくんだもの。 「いったいどこに行くの」 「大河のスタジオです」 「じゃ、ここに名前と住所を書いて」 なんとか私たちもパスをもらうことが出来た。エレベーターに乗り、どこかに着いて、迷路のような廊下を歩くと……。 「あら、大河のスタジオの前だわ」 と大石さん。 「ついでだから、ちょっと見学しましょうよ」 「えー、いいの」 「まだ収録してると思うわ」 どんどん中に入っていく大石さん。しかしさすがにみんな道を開けてくれた。なにしろ今回の大河は面白くて大当り。今週もすごい視聴率をとっている。その脚本を書いている方なのだ。 スタジオの前では、扮装した俳優さんやスタッフがいて、みんな大石さんに「オハヨーございます」と声をかける。いいなあ、脚本家の人って楽しそうだなあ。こんなにみんなにちやほやしてもらって、本当に羨しい。 ・・・ 中では西田敏行さんと柄本明さんが、野外のシーンを撮っていらっしやるところであった。 「いま、私たちオペラ見て、通り抜けるところだったの。ハヤシさんと弟さんよ」 紹介してくださり、すっかり舞い上がった田舎者の姉と弟。私は母にこれを教えたくなった。姉としてちゃんとやってるじゃん。メトロポリタンの後は大河、江原さ人と食事というコース。こんなにやさしい姉がいるだろうかと、すっかり自画自賛した私である。 |
知人の脚本家のNHK本館の入館パスを利用して、その建物の中をつッ切って反対側に出ようとし、その途中、スタジオで撮影中の俳優さんたちに紹介してもらう事は、多くの方々もやっているのかもしれません。
でも、そんな事は、皆こっそりとやっているのでしょう。
なのに、視聴料不払い運動が起こっているNHKから、こっそりとその恩恵を受けている事を、「すっかり自画自賛した私である」と週刊誌の自分のコラムに書く神経(林氏の「心の問題」)が私には不思議でなりません。
本当にこのような林氏が人気作家である事が私には信じられないのです。
でも、林氏の人気(そして又、小泉氏の人気)を支える方々の心が、このような林氏の心(小泉氏の心)とぴったり合致している為なのだと私なりに考えるのです。
でも、それ以外に林氏の人気の秘密があることを週刊文春(2006.8.10)に発見しました。
この部分を抜粋させて頂きます。
殺人をしない鈴香 そんな私がひとり暮らしを始めた時の惨状ときたら、今ここに書くのもためらわれるほどである。救いは当時、コンビニというものがこの世になく、そうひどい残留物をつくらなかったということであろうか。全く、汁が残ったカップ麺や残飯の入ったプラスチックの弁当箱ほど、寒々としたものがあろうか。あれを五、六個、どこでもいいから置いてみるがいい。表参道ヒルズ前だろうと、銀座四丁目だろうと、ものすごく貧乏たらしい光景になるはずだ。 それでもコンビニ出現前、それらしいものは世に出始めていた。池袋のアパート前のお菓子屋さんは、パンの横に焼肉弁当を置いていたのだが、その便利さに私はすぐ飛びついた。 当時ボトルのお茶はなく、だらしない私でもパックのお茶を淹れた。 やかんはめんどうくさいから、小鍋でお湯を沸かした。なんだちゃんとしてるじゃないかと言われそうであるが、その残骸は、何日間も放置されていた。プラスチックの弁当箱、茶の残ったままの茶碗が、小さな流しにいつまでもそのままになっているのである。 ゴキブリが異常発生する部屋で、ずうっと浸ころんでテレビを見たり、貸本屋で借りてきた本を読んでいた。今のようにTSUTAYAがあったら、いくらでもビデオを借りていただろう。たぶん借りっばなしにして、すごい延滞料金を請求されたに違いない。鈴香がよくコミックを読んでいたように、私もありとあらゆる活字をむさぼって読み、現実から逃げようとしていたのである。 大学を出たものの、不景気で就職出来ずずうっとバイト生活をしていた。日払いのバイトもしたし、結構給料のいい植毛のクリニックに勤めたりもした。その日ぐらしであるが焼肉弁当が手に入れば、それで結構満足していた生活。 これまた救いといえば、当時はフリーターという言葉がなく、ちゃんと就職しない若者は、親や世間からそりゃ冷たい目で見られたことである。そのおかげで、なんとか職を見つけようと、夜間のコピーライターの学校へ行ったりした。それが物を書く始まりである。 しかし「三ツ子の魂百まで」とはよく言ったものだ。このトシになっても、ものを片づけられない。いくら洋服を買っても、クローゼットの奥深く姿を消し、着たい時に出てきたためしがない。食器はよく流しにためる。 私は思う。お手伝いさんを雇える境遇になったのは、全く何という幸運だったのだろうか。あのまま中年になった自分を想像すると心底ぞっとする。運よく結婚出来たとしても、こんな「家事放棄」どころか、まるっきり無能な女なら、それこそ「殺人をしない鈴香」だったろう。 足の踏み場もない狭い部屋、コンビニの残骸だらけの台所、汚ない格好の子ども……。それが私が手にするはずのものであった。 鈴香など、全く自分と縁のない女、といえる人は幸せである。が、私のような怠惰なだらしない女は、彼女の事件をとても人ごととは思えないのである。 もうじき暑い夏がくる。だらしない女の欠点があらわになる時である。散らかった部屋はそれだけで暑苦しく、夫婦喧嘩の種になる。でも私たちのことを叱らないで。私たちは鈴香になるギリギリのところ、やっと頑張って生きているのだから。 |
このように、林自身の欠点を洗いざらい読者の前に曝け出す特異な才能に恵まれている為、絶大な親近感と共感とはたまた優越感を読者に与え、読者を幸せの境地に導くのでしょう。
しかし、
残念なことに林氏は“汚ない格好の子ども”と記述して、 悲惨な運命に突き落とされた彩香ちゃんへの気配りをせずに平気なのです。 |
このように「弱者」への思いやりのない林氏を日本人の多くの支持を得ているのです。
そして、この「弱者」への思いやりのない林氏は、「弱者」への思いやりのない小泉氏を支持しているのです。
となると、日本人の多くが「弱者」への思いやりのない小泉氏を支持しているのが不思議ではありませんか?!
多分、日本人の多くは林氏の「弱者」への思いやりの無さに気が付かず、同様にして、小泉氏へ「弱者」への思いやりの無さに気が付かないか?と思わずに入られません。
(でも、このような事に気が付かない国民を政治家達は“国民は利口だ”と持ち上げています。
悲しい事です。)
(補足)
当日上演された歌劇「アンドレア・シェニエ」(ジョルダーノ作曲)について
先の朝日新聞の記事では「45年前、来日したイタリア歌劇団のテレビ放映を見て小泉首相がオペラ好きになるきっかけを作った思い出の作品だ。」と紹介されていますが、この公演は、当時世界最高のテノールのマリオ・デル・モナコと、ソプラノはマリア・カラスと人気を二分していたレナータ・テバルディを主役に迎えての伝説的な公演だったのです。
そして、この作品は、それまで日本では殆どの人は聞いたことも見た事もない歌劇でした。
ですから、同じ主役で録音され発売されたこの歌劇の全曲盤(LPレコード)は、NHK放映前にはさっぱり売れなかったのです。
ところが、公演模様がテレビ放映されるや、爆発的に売れたとの事です。
私は、全曲盤は買えずに、ハイライト盤を購入して、マリオ・デル・モナコ(後日、私はイタリアに赴き教えを請いましたので、以降、デル・モナコ先生と書かせて頂きます)の声にあわせて、毎日のように蛮声を張り上げていました。
そして、このアンドレア・シェニエの役はデル・モナコ先生の最高の当たり役の一つでした。
ですから、デル・モナコ先生の死後、このアンドレア・シェニエで着用されたデル・モナコ先生の衣装は、ミラノのスカラ座の博物館に飾られました。
そして、今回の「アンドレア・シェニエ」は、デル・モナコ先生のお子様のジャンカルロ・デル・モナコ氏の演出で行われました。
私は、デル・モナコ先生のお宅に居候させて頂いた際、(若かりし日のデル・モナコ先生そっくりの)ジャンカルロ・デル・モナコ氏のお子様のステッラさんとよく遊んでいました。
何故、私がイタリアのデル・モナコ先生のお宅に居候したかと申しますと、私も小泉首相同様に、「45年前、来日したイタリア歌劇団のテレビ放映を見て」「オペラ好き」になったのです。
只、私の場合は、歌劇「アンドレア・シェニエ」よりも歌劇「道化師」でした。
特に、デル・モナコ先生が歌われた主役カニオのアリア“衣装を着けろ”に圧倒され、それまで歌大嫌い、オペラ大嫌いだった私が、“いつの日かデル・モナコ先生のように歌いたい”と思い込んで、その後20年近く経ってから、デル・モナコ先生のお宅に居候させて頂いてデル・モナコ先生の声の伝授を御願いしたのでした。
(これらの件は、私の拙文《マリオ・デル・モナコ先生と私》をご参照頂けましたら幸いです)